『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯』を読んでみました。 [日常]
*ネタバレ注意。ドラマや当該小説の内容について知りたくない方はお気をつけください。
ドラマの主題歌は、AKB48の 「365日の紙飛行機」 で、NMB48の山本彩がAKB48としては
初のセンターを担う楽曲です。
2015年9月28日から始まったNHK朝の連続ドラマ小説『あさが来た』の原案本だそうです。
1988年の刊行です。
ドラマの主人公あさ(波瑠)のモデルである広岡浅子の生涯を描いた小説です。
以下読後の感想やドラマとの違いなどを思いつくままに記述していきます。
なお、人物名はややこしいですがドラマのものを使用します。()内は俳優名。
ドラマの内容については11月7日放送分までを加味して記述しています。
・あさ(波瑠)とはつ(宮崎あおい)は異母姉妹。
・父親(升毅)ははつ(宮崎あおい)よりもあさ(波瑠)を可愛がっていた。
(テレビではどちらかというと逆)
・父親(升毅)はあさ(波瑠)とはつ(宮崎あおい)の嫁入り前に亡くなっている。
父親(升毅)が亡くなった後は、養兄(ドラマでは登場しない)が父親がわりとしてあさ(波瑠)を
育てている。
・ドラマでは戊辰戦争のあたりはあっさり終わってしまったが、小説ではあさ(波瑠)がお家の
存亡を心配して、幕府側につくか、新政府側につくかの葛藤をしているところが描かれている。
・ドラマでは、尺の問題やテレビドラマ(朝ドラ)というメディアの性質上、人間模様を描くことが
中心となっているが、小説も基本的には人間模様を描くことが中心ではあるものの、5代綱吉
からの幕府の稚拙な通貨政策や新政府の通貨政策なども必要な範囲で説明されている。
・玉利友信(笑福亭鶴瓶)にお金を借りに行く場面は、小説では東京での返済延期の申し込み。
この場面は小説においては、病気のあさ(波瑠)が病気をおして、何度も訪ね、
しかも相手の邸宅で倒れて寝込んでしまうという、けっこう重いシーンとなっている。
・はつ(宮崎あおい)は、山王寺屋が倒産する前にすでに子供を2人もうけている。
山王寺屋が倒産した後はほとんど登場しない。
・うめ(友近)は、白岡新次郎(玉木宏)の側室になる。新次郎との間に4児をもうける。
・経済・社会背景をしっかりえがく一方で、あさ(波瑠)の第一子出産は割とあっさり。
・五代友厚(ディーン フジオカ)があさ(波瑠)と話すのは1度だけ。
・あさ(波瑠)の名言?である「びっくりぽんや」は1度も言わない。
10月30日までで平均視聴率は20%以上で、視聴率は好調な滑り出しのようです。
小説のほうが、より実際に近いのか、複雑な家族構成であったり、商売の現実の厳しさで
あったり、やや重い内容になっているように感じました。事業や教育に関する記述が中心で
家族に関する記述はドラマの印象があるせいかやや薄めに感じます。また、あさ(波瑠)は
亡くなるまでに3度の生命の危機にたたされますが、1度目はドラマでは描かれません
でした。(もしかしたら、タイミングをかえて今後えがかれるかもしれません。)ドラマでは描きたい
テーマにあまり沿わないような余計な要素はだいぶカットされているように思われます。
あさ(波瑠)のキャラクターは小説のほうがより強引に感じます。
座右の銘である「九転び十起き」を地でいき、維新や暗殺未遂などの逆境をむしろチャンスに
変えて最終的には大富豪に成り上がっていきます。晩年はなんだか女帝みたいな感じに
なっていくので、朝ドラでどのように扱うか見ものです。ドラマでえがくとすれば、おそらく
そういう雰囲気はなるべく抑えたえがき方になるとは思いますが。
あさ(波瑠)は、人間の個々の小さな我を超えた、もっと普遍的な心理を「真我」と定義し
真我を基準に生きていけば、行き詰まりがなくなると述べています。何事にも一生懸命
取り組んできたからこそこういう境地に立てたのでしょう。
後半は、あさ(波瑠)とともに事業を盛り立ててきた人たちが順次亡くなっていき
なんだか寂しくなっていきました。
小説に基づけば、あさ(波瑠)はそろそろ女児をもうけるはずですが、、ドラマの今後の
展開も楽しみです。
ドラマの主題歌は、AKB48の 「365日の紙飛行機」 で、NMB48の山本彩がAKB48としては
初のセンターを担う楽曲です。
2015年9月28日から始まったNHK朝の連続ドラマ小説『あさが来た』の原案本だそうです。
1988年の刊行です。
ドラマの主人公あさ(波瑠)のモデルである広岡浅子の生涯を描いた小説です。
以下読後の感想やドラマとの違いなどを思いつくままに記述していきます。
なお、人物名はややこしいですがドラマのものを使用します。()内は俳優名。
ドラマの内容については11月7日放送分までを加味して記述しています。
・あさ(波瑠)とはつ(宮崎あおい)は異母姉妹。
・父親(升毅)ははつ(宮崎あおい)よりもあさ(波瑠)を可愛がっていた。
(テレビではどちらかというと逆)
・父親(升毅)はあさ(波瑠)とはつ(宮崎あおい)の嫁入り前に亡くなっている。
父親(升毅)が亡くなった後は、養兄(ドラマでは登場しない)が父親がわりとしてあさ(波瑠)を
育てている。
・ドラマでは戊辰戦争のあたりはあっさり終わってしまったが、小説ではあさ(波瑠)がお家の
存亡を心配して、幕府側につくか、新政府側につくかの葛藤をしているところが描かれている。
・ドラマでは、尺の問題やテレビドラマ(朝ドラ)というメディアの性質上、人間模様を描くことが
中心となっているが、小説も基本的には人間模様を描くことが中心ではあるものの、5代綱吉
からの幕府の稚拙な通貨政策や新政府の通貨政策なども必要な範囲で説明されている。
・玉利友信(笑福亭鶴瓶)にお金を借りに行く場面は、小説では東京での返済延期の申し込み。
この場面は小説においては、病気のあさ(波瑠)が病気をおして、何度も訪ね、
しかも相手の邸宅で倒れて寝込んでしまうという、けっこう重いシーンとなっている。
・はつ(宮崎あおい)は、山王寺屋が倒産する前にすでに子供を2人もうけている。
山王寺屋が倒産した後はほとんど登場しない。
・うめ(友近)は、白岡新次郎(玉木宏)の側室になる。新次郎との間に4児をもうける。
・経済・社会背景をしっかりえがく一方で、あさ(波瑠)の第一子出産は割とあっさり。
・五代友厚(ディーン フジオカ)があさ(波瑠)と話すのは1度だけ。
・あさ(波瑠)の名言?である「びっくりぽんや」は1度も言わない。
10月30日までで平均視聴率は20%以上で、視聴率は好調な滑り出しのようです。
小説のほうが、より実際に近いのか、複雑な家族構成であったり、商売の現実の厳しさで
あったり、やや重い内容になっているように感じました。事業や教育に関する記述が中心で
家族に関する記述はドラマの印象があるせいかやや薄めに感じます。また、あさ(波瑠)は
亡くなるまでに3度の生命の危機にたたされますが、1度目はドラマでは描かれません
でした。(もしかしたら、タイミングをかえて今後えがかれるかもしれません。)ドラマでは描きたい
テーマにあまり沿わないような余計な要素はだいぶカットされているように思われます。
あさ(波瑠)のキャラクターは小説のほうがより強引に感じます。
座右の銘である「九転び十起き」を地でいき、維新や暗殺未遂などの逆境をむしろチャンスに
変えて最終的には大富豪に成り上がっていきます。晩年はなんだか女帝みたいな感じに
なっていくので、朝ドラでどのように扱うか見ものです。ドラマでえがくとすれば、おそらく
そういう雰囲気はなるべく抑えたえがき方になるとは思いますが。
あさ(波瑠)は、人間の個々の小さな我を超えた、もっと普遍的な心理を「真我」と定義し
真我を基準に生きていけば、行き詰まりがなくなると述べています。何事にも一生懸命
取り組んできたからこそこういう境地に立てたのでしょう。
後半は、あさ(波瑠)とともに事業を盛り立ててきた人たちが順次亡くなっていき
なんだか寂しくなっていきました。
小説に基づけば、あさ(波瑠)はそろそろ女児をもうけるはずですが、、ドラマの今後の
展開も楽しみです。
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