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蓬莱橋へ行ってきました。(2020年11月) [遺跡]
静岡県島田市にある蓬莱橋へ行ってきました。
このあたりに最後に来たのは、2010年のしまだ大井川マラソン以来だと思います。
たしかマラソンコースが一部大井川沿いで、レース中に蓬莱橋をくぐったような気が
します。
高速代をケチり、国道1号線で行きました。
途中休憩した掛川の道の駅です。


「世界一長い木造歩道橋」ということでギネス認定されているそうです。

勝海舟像です。このあたりの茶畑の開墾に尽力したそうです。
北岸の渡り口です。

橋の途中から見た北岸の様子です。
橋からの景色です。道幅が狭く、両側の欄干が低い。それは大丈夫なんですが
なんせ蜂が多い。これはやばい。


橋のど真ん中だそうです。
南側の渡り口です。


北側の橋の起点付近にあるお店でおしるこ食べてきました。
時間がなかったので駆け足でしたが、良い陽気で、気持ちがよかったです。
このあたりに最後に来たのは、2010年のしまだ大井川マラソン以来だと思います。
たしかマラソンコースが一部大井川沿いで、レース中に蓬莱橋をくぐったような気が
します。
高速代をケチり、国道1号線で行きました。
途中休憩した掛川の道の駅です。
「世界一長い木造歩道橋」ということでギネス認定されているそうです。
勝海舟像です。このあたりの茶畑の開墾に尽力したそうです。
北岸の渡り口です。
橋の途中から見た北岸の様子です。
橋からの景色です。道幅が狭く、両側の欄干が低い。それは大丈夫なんですが
なんせ蜂が多い。これはやばい。
橋のど真ん中だそうです。
南側の渡り口です。
北側の橋の起点付近にあるお店でおしるこ食べてきました。
時間がなかったので駆け足でしたが、良い陽気で、気持ちがよかったです。
北裏城跡、波入江城跡、高輪城跡へ行ってきました。 [城]
2019年12月某日、東三河にある北裏城跡、波入江城跡、高輪城跡へ行ってきました。
HDの不具合のせいで、いまごろのアップになってしまいました。
Bリーグの試合を観戦するついでにライフワークである城めぐりをしようと
思い、ネットで調べたらいろいろ出てきたので行ってみることにしました。
豊橋鉄道の新豊橋駅。豊橋鉄道に乗るのは今回が初めてです。初めはけっこう混んで
いたのですが、愛知大学前駅でほとんど降りてしまいました。
老津駅です。
通り道にあったのでちょっと寄り道。老津神社です。
老津小学校付近で、便意をもよおしてきました。近くに公衆便所がなかったので
わざわざパイパス近くのファミマまで歩きました。田舎を歩くとき気を付けるべきは
トイレということを失念しておりました。時間と体力をロス。
キャベツ畑や車一台分がやっと通れる幅の道を行くと、北裏城があります。
北裏城跡はここらしいですが、今はただの畑です。隣に祠があります。
北裏城の場所はこちら。正確性は保証できません。
波入江城跡です。現在は祥雲寺があります。
波入江城の場所はこちら。こちらも正確性は保証できません。
高輪城跡です。別名大津城というそうです。現在は豊橋市立家政高等専修学校です。
2019年12月11日時点では工事中です。
この盛り上がっているところが外曲輪の土塁かもしれない、ということです。
高輪城の場所はこちら。
事前にネットで検索した資料を走り読みしただけでしたので、ただ行っただけに
なってしまいました。考古学・歴史学のまね事みたいなことをしたいと思っている
のですがなかなか時間が...
久能山東照宮へ行ってきました。 [遺跡]
久能山東照宮へ行ってきました。徳川家康公のお墓です。
日本平動物園を観覧した後、しずてつジャストラインで動物園入口から日本平ロープウェイへ
向かいました。
ロープウェイ乗り場です。


ロープウェイ乗り場からの風景です。
ゴンドラです。
ゴンドラからの風景です。
東照宮前にある博物館です。館内は撮影禁止なので写真はありません。徳川ゆかりの品が
置いてあるのですが、一番の見どころは家康の洋時計だと思います。スペイン国王フェリペ3世が
海難救助のお礼として徳川家康に贈ったものだそうです。あれを家康が使っていたのだと
思うと興奮してきます。
東照宮の出入り口です。
上から見た出入口の様子です。
奥に見えるのが御社殿です。国宝です。
御社殿です。さすがに天下人だけあって豪華です。

御社殿から神廟に通じる道です。
神廟です。家康公の墓です。ただ、遺体は日光東照宮にあるという説とこちらに
あるという説があり、現在でも論争が続いています。
久能山側のロープウェイ乗り場からの景色です。
帰りのゴンドラからの景色です。

若い頃は徳川家康がどのようにして合戦に勝利したのかなど、いくさにばかり注目して
いました。最近は、歳を重ねたせいか、家康がどのような哲学、マインドで領国経営を
行っていたのかなどを考えることが多くなりました。よく知られているように家康は
幼少期から青年期にかけて人質として過ごしましたし、70余年の人生のなかで何度か
死んでもおかしくない場面がありました。弱小大名から天下人になるのに
日々どのようにして過ごしていたのか?わたしにだけ教えてくれないかな~なんて
思いながら神廟を参拝していました。
日本平動物園を観覧した後、しずてつジャストラインで動物園入口から日本平ロープウェイへ
向かいました。
ロープウェイ乗り場です。
ロープウェイ乗り場からの風景です。
ゴンドラです。
ゴンドラからの風景です。
東照宮前にある博物館です。館内は撮影禁止なので写真はありません。徳川ゆかりの品が
置いてあるのですが、一番の見どころは家康の洋時計だと思います。スペイン国王フェリペ3世が
海難救助のお礼として徳川家康に贈ったものだそうです。あれを家康が使っていたのだと
思うと興奮してきます。
東照宮の出入り口です。
上から見た出入口の様子です。
奥に見えるのが御社殿です。国宝です。
御社殿です。さすがに天下人だけあって豪華です。
御社殿から神廟に通じる道です。
神廟です。家康公の墓です。ただ、遺体は日光東照宮にあるという説とこちらに
あるという説があり、現在でも論争が続いています。
久能山側のロープウェイ乗り場からの景色です。
帰りのゴンドラからの景色です。
若い頃は徳川家康がどのようにして合戦に勝利したのかなど、いくさにばかり注目して
いました。最近は、歳を重ねたせいか、家康がどのような哲学、マインドで領国経営を
行っていたのかなどを考えることが多くなりました。よく知られているように家康は
幼少期から青年期にかけて人質として過ごしましたし、70余年の人生のなかで何度か
死んでもおかしくない場面がありました。弱小大名から天下人になるのに
日々どのようにして過ごしていたのか?わたしにだけ教えてくれないかな~なんて
思いながら神廟を参拝していました。
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