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蓬莱橋へ行ってきました。(2020年11月) [遺跡]

静岡県島田市にある蓬莱橋へ行ってきました。
このあたりに最後に来たのは、2010年のしまだ大井川マラソン以来だと思います。
たしかマラソンコースが一部大井川沿いで、レース中に蓬莱橋をくぐったような気が
します。

高速代をケチり、国道1号線で行きました。
アフィリエイトのアクセストレード

途中休憩した掛川の道の駅です。
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「世界一長い木造歩道橋」ということでギネス認定されているそうです。
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勝海舟像です。このあたりの茶畑の開墾に尽力したそうです。
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北岸の渡り口です。
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橋の途中から見た北岸の様子です。
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橋からの景色です。道幅が狭く、両側の欄干が低い。それは大丈夫なんですが
なんせ蜂が多い。これはやばい。
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橋のど真ん中だそうです。
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南側の渡り口です。
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北側の橋の起点付近にあるお店でおしるこ食べてきました。
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時間がなかったので駆け足でしたが、良い陽気で、気持ちがよかったです。
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久能山東照宮へ行ってきました。 [遺跡]

久能山東照宮へ行ってきました。徳川家康公のお墓です。

日本平動物園を観覧した後、しずてつジャストラインで動物園入口から日本平ロープウェイへ
向かいました。
すっきりを自然に。自然素材の健康茶【デルモッティ】

ロープウェイ乗り場です。
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ロープウェイ乗り場からの風景です。
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ゴンドラです。
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ゴンドラからの風景です。
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東照宮前にある博物館です。館内は撮影禁止なので写真はありません。徳川ゆかりの品が
置いてあるのですが、一番の見どころは家康の洋時計だと思います。スペイン国王フェリペ3世が
海難救助のお礼として徳川家康に贈ったものだそうです。あれを家康が使っていたのだと
思うと興奮してきます。
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東照宮の出入り口です。
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上から見た出入口の様子です。
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奥に見えるのが御社殿です。国宝です。
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御社殿です。さすがに天下人だけあって豪華です。
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アクアバンク


御社殿から神廟に通じる道です。
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神廟です。家康公の墓です。ただ、遺体は日光東照宮にあるという説とこちらに
あるという説があり、現在でも論争が続いています。
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久能山側のロープウェイ乗り場からの景色です。
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帰りのゴンドラからの景色です。
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若い頃は徳川家康がどのようにして合戦に勝利したのかなど、いくさにばかり注目して
いました。最近は、歳を重ねたせいか、家康がどのような哲学、マインドで領国経営を
行っていたのかなどを考えることが多くなりました。よく知られているように家康は
幼少期から青年期にかけて人質として過ごしましたし、70余年の人生のなかで何度か
死んでもおかしくない場面がありました。弱小大名から天下人になるのに
日々どのようにして過ごしていたのか?わたしにだけ教えてくれないかな~なんて
思いながら神廟を参拝していました。
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9月15日関ケ原古戦場に行ってきました。Part 3(全3) 島津義弘陣跡~徳川家康最後陣地 [遺跡]

(続き)

笹尾山の次は島津義弘陣跡に向かいました。

関ケ原の戦いでは、島津家は西軍として参加しました。
西軍が敗色濃厚になると、何を思ったか島津義弘は後退するのではなく
逆に敵中に突撃していきました。有名な「島津の退き口」です。

これは、敗色濃厚になり敗れて生き恥をさらすぐらいなら
武士らしくここで散ろうという考えで突撃した結果、運よく
生き残ったというわけではなく、味方が総崩れで敵が前のめりに
なっているところに敢えて突撃することによって、活路を見出そう
という深い考えのもと行われたようです。

「島津の退き口」については、負けそうになってから、正面突破して
退却していった、ということを知っていた程度で、詳しくは知らなかったのですが
ここに来る直前にNHKの「歴史秘話ヒストリア」でもろに取り上げられていたので
今回寄ってみることにしました。今は何があるってわけでもないんですが。

標識です。
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到着です。
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記念碑です。
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有名な「島津の退き口」について解説しています。
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若い時ゲームで「信長の野望」やりましたが、島津家でよくやってました。
九州のはじっこで、背後を気にする必要がないうえ、能力の高い武将もけっこういたので
なかなかやりやすかったからです。

最後は、徳川家康最後陣地へ行きました。
都合上最後に立ち寄りましたが、関ヶ原町民俗資料館のすぐ前です。
戦いの直後、ここで首実検、慰霊などを行ったそうです。
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歴史のIFはきりがないわけですが、もしも豊臣秀頼が出陣していたら
結果は変わったのではないか、と関ケ原の戦いを考えるときいつも思ってしまいます。

関ケ原の戦いが行われた9月15日というだけあって、駅に戻ったら
観光目的と思われる大勢の人がいました。あいにくの雨でしたが。
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9月15日関ケ原古戦場に行ってきました。Part 2(全3) 関ケ原古戦場決戦地~笹尾山 [遺跡]

(続き)

関ケ原町民俗資料館を出て、笹尾山に向かいました。
笹尾山は、西軍の事実上の総大将であった石田三成が陣を構えたところです。

笹尾山の石田三成の陣地はこちら。

笹尾山へ向かう途中にあった交番です。なんだか雰囲気は出てます。
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こういった看板等がそこかしこにあるので、観光はしやすくなってます。
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決戦地、笹尾山に向かう道中です。雲というか霧がかかっています。418年前の合戦時も
こんな天候だったそうです。そういう意味では天候に恵まれたのかもしれません。
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決戦地です。
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笹尾山の麓です。
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笹尾山を登るとこうなってます。
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展望台からの景色です。418年前のこの日にはおよそ20万もの軍勢が
眼下にひしめき合っていたわけですね。
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廃校になった学校だと思いますが、麓でコスプレできます。この日だけかも
しれませんが。時間がなかったので、断腸の思いで諦めました。DSC_0340.jpgDSC_0341.jpg

418年前石田三成が見つめていた景色を見ることができて、なかなか感慨深かったです。
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9月15日関ケ原古戦場に行ってきました。Part 1(全3) 関ケ原駅~関ケ原町民俗資料館 [遺跡]

関ケ原古戦場とは、1600年9月15日に関ケ原の戦いが行われた場所です。

それからちょうど418年後の2018年9月15日に関ケ原に行ってまいりました。
あいにくの雨。

JR関ケ原駅です。8:23予定通り到着。雨のせいか、朝早いせいか、人影は少ない。
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松平忠吉(家康の4男)と井伊直政の陣跡です。先鋒は福島正則の予定だったのですが
井伊直政は抜け駆けして西軍に戦いを仕掛けました。戦後処理の主導権争いのためと
言われています。現在は何があるってわけでもないのですが、石田三成が陣を構える
笹尾山からの距離感を感じられます。
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松平忠吉と井伊直政の陣跡とほぼ同じところにある東首塚です。
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関ヶ原町歴史民俗資料館です。倉庫のペイントが派手。最近はどこも
こういう感じですね。
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民俗資料館入口付近です。顔抜き看板も観光地あるあるですね。
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館内は撮影禁止だったので写真はありません。
甲冑、火縄銃、日本刀など武具を中心に展示がありました。
関ケ原の戦いの経緯などが屏風絵などとともに詳しく解説されていました。

私も知らなかったのですが、関ケ原の戦いは「世界三大古戦場」の一つに
数えられているそうです…館内には関ケ原の戦い以外のゲティスバーグの戦いや
ワーテルローの戦いに関する資料もありました。こちらもいつか実際に行って
みたいですね。

これは駅に置いてあった看板。
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(続く)

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登呂遺跡に行ってきました。(静岡県静岡市駿河区) [遺跡]

静岡県静岡市にある登呂遺跡に行ってきました。静岡駅から徒歩30分ぐらい。



登呂遺跡は弥生時代後期の遺跡と言われています。
弥生時代は、だいたい紀元前数世紀から紀元後3世紀中頃とされています。
弥生時代という呼称は、東京都文京区弥生の貝塚で発見された土器が発見地に因み
弥生式土器と呼ばれたことに由来するそうです。

諸説あるようですが、弥生時代後期というとだいたい紀元後1世紀から3世紀ぐらいです。
ヨーロッパはローマ帝国、中国は後漢の時代で、すでに文明が発達していました。
一方日本は、文字もなく、まだ原始時代といった感じです。
ただ、弥生時代の終末期である3世紀は、邪馬台国があった時期といわれていますので
終末期には組織化、階層化がある程度進んだ社会が形成されていたようです。

歴史好きの私ですが、弥生時代は正直弱いです。

高校入試的には次のことを頭に入れておく必要があります。

縄文時代       弥生時代
採集、狩猟、漁     農耕
移住生活        定住生活
縄文土器        弥生土器

静岡駅から歩きで来ました。バス停もあります。
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全体図。博物館等の施設でなければ無料で見学できます。
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弥生人?
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博物館が隣にあります。
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いわゆる竪穴式住居です。
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水田があります。博物館のところ以外は舗装されていませんので、足場は悪いです。
行かれる際は汚れてもよい靴で行くことをお勧めします。
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