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近くへ行きたい~浜松市近辺~ 25.井伊谷城跡 [近くへ行きたい]

かつて井伊氏の拠点であった井伊谷城跡へ行ってきました。

井伊谷城跡城山公園の様子です。


国道257号線を北上し、井伊谷上の交差点で左折します。
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この看板のところで右折。
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いかにも山道が待ってますと言わんばかりの入口。
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やっぱり山道。ハイキングやトレッキングにはいいんですがね。八王子城の時の悪夢が頭をよぎる。
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石垣がありました。いつのものかはわかりません。
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中腹です。神社がありました。景色はいいです。
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中腹からの眺めです。浜松市のランドマーク、アクトタワーが小さく見えます。
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城山公園からの景色です。城山公園の様子は動画をごらんください。
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入口から城跡まではだいたい20分もあれば着くと思います。

井伊谷城は11世紀初頭に井伊共保によって築かれたそうです。

井伊氏は南北朝時代には南朝方として戦い、井伊谷城は北朝方の高師泰に攻められ
落城したそうです。

桶狭間の戦いの後の遠江は、今川氏と織田氏・徳川氏の係争地となったため
「遠州錯乱」と呼ばれる動乱期にありました。井伊氏は今川氏に服属していましたが
桶狭間の戦いの後、徳川氏に従うようになります。そして、当主の井伊直政は
徳川四天王の一人として大活躍することになります。

今川氏が滅びてからは、徳川と武田が争うようになり、遠江は武田信玄の侵攻を受けて
この井伊谷城も一時武田方に奪われてしまいます。

秀吉が後北条氏を滅ぼして、家康が関東に移ると、直政は群馬に移っていってしまいました。

関ヶ原の戦いの後、直政は彦根藩主となり、譜代大名の筆頭として、京都の監視、西国の
抑えという役割を担います。幕末に登場する大老井伊直弼はこの彦根藩出身です。

大河ドラマでは、この井伊谷城は主人公井伊直虎の拠城ということで、たくさん登場する
ことが予想されます。っていうか、直虎は生涯のほとんどを遠江近辺で過ごしたようなので
大河ドラマの主な舞台はほとんどがこの遠江ということになりそうです。
ただ、井伊谷城はこんな状況なので、このあたりで撮影することはきっと皆無になりそうです。

大河ドラマでは、45分のうち最後の2~3分で劇中のゆかりの地を紹介するコーナーが
必ずあるので、そこで、この井伊谷近辺が数多く取り上げられることが予想されます。



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