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近くへ行きたい~浜松市近辺~ 27.金原明善記念館 [近くへ行きたい]


静岡県浜松市東区安間町にある金原明善記念館に行ってきました。天気は快晴。

金原明善は主に天竜川の治水事業で業績を残した人物です。

9月の関東・東北地方の大雨によって鬼怒川の茨城県常総市付近の堤防と渋井川の
宮城県大崎市付近の堤防が決壊し、洪水によって周辺住民は大損害を被りました。
その衝撃的な映像を見てふと思い出し行ってみることにしました。



浜松市の小学校では「のびゆく浜松」という教科書のような教材が配布され、道徳や社会で
それが使用されます。金原明善はその「のびゆく浜松」にその偉業が記載されているので
浜松育ちの人は金原明善を必ず知っているはず?です。
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現在の金原明善記念館は、以前の建物のすぐ北側にある生家に移転していますので
この地図の表記とは異なるのでお気をつけください。青い印の方が現在の位置です。
歴史が好きな人にとってはおもしろいと思いますが、公共交通機関をつかって浜松に
観光ではるばるいらした方にとっては交通の便があまりよくないため、足をはこびづらいよう
に思います。


記念館内部です。金原明善に関わるものが多数展示されており、その生涯が
よくわかります。
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金原 明善の生年は1832年、没年は1923年(関東大震災の年)です。明治維新が1867年
なので、幕末から明治にかけて活躍した人物です。

金原明善の業績は大きく分けて次の4つです。

・天竜川治水事業

・天竜川流域の植林事業

・北海道開拓

・更生保護事業

金原明善は、天竜川にほど近い現在の浜松市東区安間町で生まれました。
農民でしたが、いわゆる富農と言われるような比較的裕福な家の生まれのようです。
「あばれ天竜」と呼ばれていた天竜川の氾濫に悩まされ、全財産を投げうって
天竜川の治水に努めます。

1877年には時の内務卿大久保利通に謁見がかないます。内務卿とは今で言うと総理大臣
のようなものです。天竜川の治水事業実施を嘆願します。金原明善は嘆願がかなわなければ
死ぬ覚悟でこの謁見に臨んだそうです。金原明善の、全財産を投げうって天竜川の治水に
努める熱意と事業家としての資質を認めた大久保利通は、金原明善の嘆願を受け入れ
天竜川の治水事業を許可しました。

この他教育にも力を入れていたようで、この自宅の2階を教室にして授業を行っていたそうです。
DSC_1552.jpg


こうした金原明善の偉業はどのようなメンタリティで成し遂げることができたのでしょうか?

以下は金原明善の生涯を貫いた生き方、考え方を表す「3つの信条」です。

1.實を先にして名を後にす
  (実)
1.行を先にして言を後にす

1.事業を重んじて身を軽んず


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